家族という錯覚


スキン変えようとチョロチョロいじってたら、
昨夜は夜更かしに...。

結局今までの色違いにしたけど、
エキサイトってもうスキンがどーしても...^^;
自分で作れないのでしょうがないんだけど
読みやすくセンスの良いデザインってあまりお目にかかれません。
でも、使い慣れちゃってるので結局ずーっとエキサイトなんですが。
(他社のブログ使おうとして挫折した...^^;)




話変わって...
Mさん(2)を書いて思ったのですが

自分の理解者が肉親とか、家族とか、
常に近くにいる人とは限らないよなぁ...と。

Mさんは本当に、
私の心の真ん中にストッと入ってきてくれるのですが
考えてみれば、ここまで「手続き無し」に私の中心に寄り添うことは
親にも、姉妹にも、夫にもできないことだなぁと思います。

安易な同情でもなく、無闇な叱咤でもなく
私が、今まさに伸び悩んでいる、植物で言えば成長点の部分。
そこを的確に探り当て、その上で寄り添うこと。
それは人間として、とても高度な技のように思います。

私自身も、まだまだ自分のことでいっぱいいっぱいだし
もともと他人のことよりも自分の内面に目が向きがちなので
他人に対して包容力があるとは全然言えません。

それと同じで...というか、
そんな私に見合っているってことなのかな?
私の周り(家族)にも、Mさん以外そんな知恵者はいません。

私を生んでくれた親も
同じ境遇を生きてきた姉妹も
私と長年一緒にいる夫も。

どんなに愛情が濃かろうと、生活をともにしようと、
「理解」は、また別のことなのかも知れないなぁと思いました。

なんとか理解できたとしても、
理解していることを相手に伝えることが、また難しい気がします。

私は言葉が好きなので、
言葉で伝わる、ということに執着しているのかも知れませんが...。

家族とは話せないようなことを、本で読んだりして
昔々の哲学者と「つながった!」と感じた時の気分は
やはり家族相手には、味わったことがありません。

もちろんそれって普通のことなんでしょうけどね...。
家族って、たいがいが 深い話をする対象じゃないですしね。

身近なだけに、心の深い部分で考えていることを
ハッキリ言葉にして話すことが難しい。
ハッキリ言葉にした時に、それを否定されるのが怖いのか
気恥ずかしいのか、なんだか生々しくて嫌なのか...分かりませんけど。

でも、たとえば母なんかには、
私が思っている「本当のこと」を言葉で伝えたとしても
ちょっと分からないだろうな~と思ってしまうところがあります。

夫もそうですね...。
少し深い話をすると「難しくて分からん」と言います^^;

なんだか、家族って
そういうもんじゃないのかも知れないなぁと最近思います。

言葉にはできないようなつながり...。
「情」でつながっているのが家族で、
それはやっぱり、時間や空間を共にすることで
培われていくものなのかなぁと。

その場での、その瞬間の「感情」は伝わっても
「価値観」のようなものは、別の人間なんだから それぞれ違いますもんね。
その価値感を、理論的に説明して「知ってもらう」ことは出来るとしても
共有まではできない...そんな感じでしょうか。

違う人間だから、理解することはできないけれど
その違いをゆるし合っていくような関係。
それが家族なのかなぁと思います。

何となく家族って、自分の分身のように錯覚してしまって
つい、全面的に理解してくれることを求めてしまいますけど...。


私は血のつながりというものに対して、どこかドライな部分があるからか
(ASだからかも知れませんが)
心の芯の部分で「通じ合えた」と思えた時の相手は
家族でもないし、実生活の友達ですらない、ってことが多いです。

同じ屋根の下に生まれ育っても
埋められないものってあるんじゃないのかなぁ...と思います。

逆に、物理的に身近にいる人以外に
魂の近い人というか、精神の方向性が似ている人
共鳴できる人というのが、いるのかなぁと。
(運命の赤い糸みたいなロマンチックなものじゃなく)

だから...というか、あんまり家族(配偶者も含めて)に
期待しすぎない方がいいんだろうなぁ~と思いました。

深いレベルでの価値観が共有できる人と結婚できちゃったら、
それはもう幸せなことですけどね...!!

“残念ながら、自分の夫はそうじゃなかった...”っていうのは
きっとよくあることだと思うんですよね。
もうそれは、ただの巡り合わせかも知れないし、
その人のそれまでの生き方で決まってきちゃうのかも知れないですが。

だけど、もし配偶者がそういう相手じゃなかったとしても
“それでも夫が好き”“妻が好き”なら、それでいいんじゃないかな。

配偶者と深いレベルでの価値観を共有したい...、というそのことに
こだわったり執着したりしても しょうがないんじゃないかな。


誰かに、深いレベルで理解してもらえること。
そして、自分がそれを実感できること。

それは、人生の中で時々 ご褒美みたいに降ってくるものなんだろうなーと思います。
その相手は「自分が一番理解してほしい人」とは限らない。


でも...
だからと言って「伝えるだけ無駄」とは思わないです。

一生のうちの一度か二度、そんな幸福が、
奇跡的に 家族との間に降ってくるかも知れないですもんね。

もしそんな日があったら
それはホントに、とっても素敵なことですもんね...!^^
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by susu_canta | 2008-11-22 10:26 | ぐだぐだ  

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