発達障害(3)


混乱しています。

自分はアスペルガーであろう...という見解をひとまず得たものの、
日が経つにつれて少しずつ困惑しています。




数日前から、幼少時と現在のAS的なエピソードを、
思いつく限り書き出しています。

そしたら、今の自分も基本的には幼少時と同じで
私なりに学習をして、周囲に合わせていることが分かってきました。
自分で言うのも何ですが、人を不快にさせまいという気持ちから、
対人関係においてかなりの努力をしてきたようです。

しかしそれは、
たとえば真っ直ぐの道をストレートに行く人と比べて
頭の中でたくさんの迂回をしたり、
時には藪の中を無理に突っ切ったりしているので
心に小さなすり傷をたくさんつくっていたり、
必要以上に疲れてしまうことなんですよね。

人と会った後にひどく疲れたり
楽しく過ごせたと思っていても帰宅後に偏頭痛が起きたり
はたから見れば遊んでいるだけなのに、
リフレッシュできずにかえってグッタリしてしまったり

また、ものごとに対するこだわりの部分では
ひとつのことが気になるとその先へ進めなくて
他の人がササッと済ませられることを何時間もかかってやったり

とにかく、書けば書くほど色々出てくるわけなんですが
逆に書けば書くほど、
「でもこれって普通のことなんじゃ?」という気もするのです。

生きていくだけでこんなに疲れるのも、
「他の人だって同じぐらい疲れているかも知れない」と思うし

言葉を文字どおりに受け取ってしまうという点についても
「そのくらいのこと、誰でもあるよね...」と思うし

3人以上で会話をするのが苦手、というのも
「そういうの私だけじゃないよね?」と思うし。

こうなると、
「私はアスペルガーだ」という思いこみのために
自分のAS的な面に特に注意が向いてるだけなんじゃ?とも思えるし
そのために意識的に偏った記憶を引き出そうとしているのではないか...
とも、思えてしまいます。

また、「この程度でアスペルガーだなんて言っていいのかしら?」と、
妙な遠慮(?)も頭をもたげてきます。


そこで、少しでも客観的に見られればと
自分のAS的でない面についても書き出すことにしました。

幼少時から字はそこそこきれいに書ける。
絵や文章が得意。
球技もどちらかというと得意...などなど。

しかしこれらを挙げてみても、
自分がアスペルガーか否かという判断材料には及ばないので
書き出しても書き出しても何かスッキリしなくて悶々としています^^;


そんなこんなで、日を追うごとにますます確定診断に関心が向いています。

私個人としては診断の必要を感じないのですが
対他人となったときに、
未診断のままではどちらの立場にも立てないなぁと思うので...。

ASの人と交流してみたいという思いもあります。
しかし、自分がASだと確信していても
「もしかしたら勘違いかも」という可能性を内包している間は
この生きにくさを、他の人と分かち合える自信はありません。
「私とあなたはASという共通点がある」とこちらが主張したとしても
「未診断」という部分にひっかかる人もいるのではないかなぁと思うのです。


しかし、数年前は辛い心身症に悩んだものの、
今はただ「虚弱で疲れやすい人」というくくりでしかない私が診断を受けることの意味を、
果たして医療機関や周囲の人々は理解してくれるものなんでしょうか...。

これは、成人してから発達障害を意識した人にとって
結構悩ましい問題かも知れないですね。


まだまだ分からないことだらけなので、
ひきつづき 色々調べていきたいと思います。
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by susu_canta | 2008-04-29 13:58 | 診断まで  

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