発達障害(1)


まさかここで発達障害について書くことになろうとは、
思ってもみませんでした。

自分がアスペルガーだったと知ったのはここ一週間ぐらいのことです。
これまでも、発達障害の情報に接する機会はあったし
もう8年近く前でしょうか...あまりに身体症状が辛かった時期に、
自分がアスペルガーではないかという疑いを持ったことはありました。
しかし、その時は自分には当てはまらないと思っていたのです。




その頃はアスペルガーについて、
今よりも断片的な情報しかなかったということもありますし
私の中にも「障害」という言葉に対する先入観があったのかも知れません。
私は普通に生活できているし、
人づきあいの上でも、とりたてて困難は無いと思っていましたから。

しかし、この場合の「障害」とは、
単に物事を遂行していくうえでの困難を指すのではなく
物事の受け取り方と表現の問題...
つまりインプットとアウトプットの障害であるわけです。

アウトプットの方は周りに合わせて自己修正されていきますが、
その分、インプット機能の障害は、
自己矛盾としてその人の中に積もっていってしまいます。

内面の問題であるために、他の人からは見えず
しかし本人の中では、インプット→アウトプットの過程を
絶えず調整する必要に迫られるため、生きてるだけでひどく疲れます。

それがずっと幼い頃から連続してあるわけですが
健常者(・・・健常者、障害者という言葉はあまり気に入りませんが)にとっては
違和感のある反応をしてしまうため、
なんとなく疎外感を感じながら生きていくことになります。

自己診断基準を見ただけでは、学術的に正しい判断はできないでしょうし
今の私は、あまりアスペルガーの特徴を残していないので
診察を受けても、アスペルガーと診断されることは無いかも知れません。

しかし私自身は、専門家の診断を待つまでもなく
自分はアスペルガーだと確信できます。
この一週間で、発達障害について多くの文献を読んだ印象と
何よりアスペルガー当事者の方々の手記を読んで、
多くの共感と、感覚的な共通点を見出したことが決め手になっています。

「私はアスペルガーです」と宣言するには、
専門家の診断が必要なのでしょうが
あまりそのことは重要ではない気がします。
「私はアスペルガーだから、こういうことに気をつけてください」とか
「こういう面で協力してください」と言う気は、今さら無いからです。

ただ、姉や妹には話すかも知れません。
単純に分かっていて欲しいなぁという思いからです。

親に対しては...どうかなぁ。
話しても理解できない気がするのでまだ保留です。

ともあれ、自分がアスペルガーだったと分かって、
この一週間で 私は急速に救われています。
多くの同じような思いをした人の文章に接することができるだけでも
非常に気持ちが楽になります。

昨日は、遠方に出かける用事があったため
電車の中で読もうと思ってこの本を買いました。

アスペルガー当事者であるお二人と
発達障害ではないけれども、自閉症に理解のある方との対談です。
ここに書かれていることは、発達障害でない人から見れば
「?????」の連続かも知れません。

私も今ではかなり健常者寄りなので
“ここまで自閉症の特徴を残しているなんてすごいな”と感じるところと
すっごく共感できるところ、両方ありました。

幼児期~思春期を思い出すと、
「そうそうそうそう!」と思い当たることばかりでした。
心に秘めている「当事者にしか分からない苦労」を表してくれている箇所もあり、
時に涙しながら(人目があるので我慢しながら)読みました。


でも考えてみれば、アスペルガーに限らず
人間には当事者にしか分からない感じ方があるわけで
「標準タイプ」というものがあるとすれば
そこからの揺れ幅やズレは、千差万別なのだなぁと思います。

アスペルガーにもほんっとに色んな人がいて個人差も大きいですし、
それは健常者も同じなんですよね。

ただ、障害があるゆえに、理解が進んだ現代では
“そのまんまでいいんだよ”
“自分を否定しないでいいんだよ”と言ってもらえるような場面もあり、
その点では恵まれているような気もします。
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by susu_canta | 2008-04-25 16:03 | 診断まで  

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