ほんとの幸せ


ねえ、「へこたれてちゃダメ」って...誰が決めたんだろうね?

診察室から出ようと立ち上がった私に
H先生がつぶやくように投げかけたその言葉が、ずっと耳に残っていました。

帰り道、地下鉄の階段を下りながら なぜか 泣けて泣けて...。

ああそうだ...って。
頭では分かってたことだけど、急に答えが目の前に迫ってきた。

こんなに涙が出てしょうがないのは やっぱり私が軽度だから、なんだ。




前回の通院だから...確か、まだ2月だった。

年末年始の気ぜわしさに負けて、大きく調子を崩したことに 自分自身ガッカリして。
気をつけようと意識していたのにダメだったこと。
頭では分かっていても、どんどん悪い循環にはまってしまったこと。

反省点ばかりをグダグダと話しつづけた私に

「僕はススさんにねぇ~、ホウガンってことをぜひ挑戦して欲しいなぁ。」

先生はそう言った。

「えっと...(ホウガン)?」

「含む、という意味のね。包含ね。
 こういう時はこうなっちゃうなってことがあるよね。
 今回は気をつけていたけど、具合が悪くなっちゃった。
 それはもうある程度、自分で分かっていることであっても 体に出ちゃったり
 逆に条件が良いときは調子が良かったりするわけだけど、まぁ今回は悪い方に出ちゃったと。
 で、“あ~あ”ってガッカリするよね。ガッカリするんだけど、
 なんかそういう時にジタバタしちゃったり、へこたれたりすることも含めて
 そのまま認める、というのかな。」

こうやって言葉にすると“自分をありのままに認める”という
使い古された考えのようにも思えるのだけど
その時はなぜか 字義的な概念とは別の、言葉の“温度”のようなものが
アスファルトにしみる水のように じわーっと胸にひろがっていきました。

「あの、私は...。」

自分を健康にしたい、って思って
そのためにできることを、ずっとずっと探求しつづけて
いっぱいいっぱい努力してきた。

それは、普通の人から見れば
とても努力してるようには見えないものなんだろうけど。

だからこそ結果を出したかったし
もちろん自分も、そうすることで幸せになりたかった。

苦手なことがいっぱいあるのはしょうがない。
ただ、自分が幸せに生きることができればそれで良かった。
できても、できなくても、他人には関係ない。

だから、ガッカリするのもへこむのも、自分に対しての残念な気持ちだけ。
ずっとずっとそうして生きてきたから 反省して努力してまたできなくて...。

でも、それを何度も繰り返していたら?
もしかして、死ぬまでそれが続くのだとしたら?

私にはハンデがあるのに
それにしては「成長したい」という欲求が強すぎるのかも知れない。
「今ここ」だけを見れば、
そのことで幸せじゃなくなってるのは他ならぬ自分。
勝手にがんばって、叶わなくて、勝手に落ち込んでる自分。

夫との関係を通して試行錯誤するなかで
相手に望みすぎたり 他人のせいにしたりの思いが あるときから薄れていった。

けれど、自分に対してだけは例外だったのかも知れない。
自分が幸せになるために、人に期待をかけないぶんだけ 自分が努力するんだと
知らず知らずに まるで修行僧のように
ある意味、それが趣味みたいなところのある 私だから...。


まず私が、幸せになること

何年も言葉を紡ぐことで得たこの答えを
一つの結晶のように 自分の中の信念として 固めてしまったのかも知れない。
結晶となったその瞬間は それを発見した喜びに飾られて美しく輝く真実となる。
いつのまにか...その美しい真実は硬度を増して
凝り固まった「信念」に変わってしまったのかも知れない。

すべてを受け入れ、固執せず、流れのままに生きるとは
なんと難しく、為し遂げ難いのだろう。

と同時に なぜこんなにも簡単に 一瞬で気づきは訪れるのだろう。

楽に生きている人は 幸せに見える。
瞬間瞬間を楽しむこと、遊ぶことは がんばって挑むことではなく
やわらかな空気が漂う場所に ただ降ってくるのだ。
きっと、空からのプレゼントのように...。


私はもっと、楽に生きていい。

誰かが そう言ってくれた気がした。
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by susu_canta | 2011-04-26 10:22 | ACと発達障害  

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