苦手なこと(1)...料理


「毎日の食事を作る」ということが、緊張感を生んでいる。

自閉症スペクトラムの私には、
苦手なことと得意なことに大きな開きがある。

なかでも料理は、昔から大の苦手。

だから今、夫が取り組んでいる食事療法のために
様々な制約を守って 5年以上も日々の食事を提供していることが
自分でも信じられません。




料理の何が私にとって大変かというと
一つには 生来の不器用さのために、手元の作業が上手く出来ないこと。
手元の作業はほぼ何でも苦手なので、調理そのものも 洗い物も苦手。
体の各部位を協調させて動かすことが出来ないので、ひどく疲れるのです。

あなたの周りにもいないでしょうか?
野菜の皮一つむくにも、息をとめて肩を上げてガチガチになってるような人。
調理に慣れていない男性なんかは、初めて包丁を手にした時そうなってますよね。

それでもさすがに何年もやっていたら慣れてくると思うのですが
私はずっとその状態が続いています。
少なくとも体の中では。

日常の動作が苦手な一方で、必死に周囲に適応してきた私は
「苦しそうに見せない」という技術を、知らず知らずに習得してきたようなのです。

もしかしたら自閉症特有の「表情の乏しさ」も関係しているかも知れません。
体調が悪い時も表情に出ないので、信じてもらえないことが多いし
(夫にも、それで信じてもらえないことが多々ありました)
まずよっぽどでない限り、自分から不調を訴えることはありません。

淡々とやっているように見えるから
周囲からは「落ち着いてる人」「できる人」と見られやすいです。

実際はキャパが異常に小さくて、
ちょっとしたことでイッパイイッパイになってるんですけどね...。


料理が苦手な訳の二つ目は、やってもやっても終わらないことです。

毎日毎日、何年も何年も続いていくという大変さは
主婦の方なら理解できると思いますが
それに加えて私には、自閉症者特有のストレスもあります。

「先のことが見えない」ということが、
自閉症者にとっては しばしば大きなストレスになります。

料理の献立なんかは自分で決めるしかないのですが
基本的に毎日3食作るので「決まっていない」という不安感を
常に味わっています。

朝ごはんを作り終えると同時に 昼食について悩み
昼食を作り終えると同時に 夕食について悩み始めます。

よく「1週間ぶんまとめて考える」という人がいますが
それが出来たらどんなにいいか...と思います(能力的に無理)。
1週間先の献立まで決めてしまった場合、
計画どおりに行かないと またそれもストレスになり消耗してしまうのです。
そして我が夫は不規則な仕事なので そういうことは頻繁に起こります。

こうしたこともあって、
せいぜい2日ぶんの献立を考えるのが精一杯ですが
それも気持ちや時間に余裕のあるときだけです。
(たいがい直前のことしか考えられない)

また、食事療法の制約の中で作っているので
その内容は夫の要望に応えたものなわけです。
自分の好きなものを食べたい時に作る、という訳ではありません。

きっとそれは 主婦なら当たり前のことなんでしょうが...。

多くのアスペルガータイプの人がそうであるように
自らの欲求に従う時には、多大なエネルギーが湧いてきて能力を発揮できるのですが
「人に合わせる」ということが、普通の人の何倍も苦手なのです。

親切心や奉仕の心が無い、という訳じゃないんですよ。

そうしたもの(=親切心)は、自分の中から自然に湧いてくるもので
「これ作ってあげよう!」とか
「リクエストに応えよう!」という欲求が出てきた時はいいのです。

しかし 外部からの要求に応えて何かをやるという事には
正直、全く気力が湧き起こりません。

もうこれは子供時代から徹底しています。
人に動かされるのがイヤ。
その代わりというか、他人に動いてもらうという発想も無いので
家族には「ドライなスス」として認識されています。
(でもね、愛情が無い訳じゃないんですよ...それとこれとは私の中で別なのです;_;)


...ともかく、外部からの要求に応えることが 私にとっては難しいのですが
社会経験を積んだり、周りの意見を聞いたりして
努力してその姿勢を修正してきました。

自分の欲求でないことを実行する...
本来これは、私にとって大きなストレスを感じること。

でも納得できる言葉で諭されれば、行動は変えることが出来ます。
これもアスペルガータイプの人によくあることです。
(なので私の感覚では、自分はアスペルガーに非常に近いなと思ってます)

社会常識をハッキリ教えてくれる人が周囲にいて
感情を交えず、理論的に言葉で説明してくれれば
外面だけでも社会に適応することができ、良い方向に向かっていけます。

私の場合、過剰適応で今辛くなってるわけですが
それでも、率直にコミュニケーションしてくれた大学時代の友人や
「義理」の概念を教えてくれた夫には感謝しています。


料理のことから長々と書いてしまいましたが
つまりは、料理一つとっても様々なストレスと、
それに拮抗する「適応した行動」とがあって
そのせめぎ合いの板挟みで 日々消耗しているということなんです。

多くの自閉症当事者のブログを読んで 共通して感じるのは
こうした多方面での「能力の欠如」を抱え、八方塞がりになりながらも
なんとか心身のバランスを保って日々のことに一生懸命取り組んでいる人が多いことです。

自分の苦手なことや、困難に感じていることを ありのままに書こうとすると
こんな風に「これもダメあれもイヤ」と言い訳がましくなって
なんだか怠け者みたいに感じられたり、ワガママに見えてしまうかも知れません。

だけど実生活では 言い訳もせず、愚痴もこぼさず
辛さを訴えることも無く頑張っている人が大半です。

自分の障害を、ブログで外に向かって伝えることが出来るのは
それが直接の知り合いに向けてでは無いからなのかも知れません。
家族や友人にありのままを伝えたところで、
定型発達者にその困難さが理解できるわけもなく
「言い訳」「甘え」ととられてしまう場合が多いからです。

けれど、しがらみのないこうした場でなら書ける。
書くからには正直に、正確に伝えたいのです。

そうなると、細かいこだわりや自分の出来ないことを羅列するしかなく
読んでる側からすると 社会人が当然果たすべき義務に対して、
不満だらけの心で取り組んでいるように読めるかも知れませんね。

でも実は逆だと思います。
発達障害当事者が、自分の特性を理解し
それを外に向かって伝えていくには それなりの知能が必要です。
自覚のある当事者はたいてい、ある程度の適応能力のある人たちです。

周囲の反応を気にすることなく、
全くマイペースに生きられる発達障害者もいます。
その上、性格的に自分を省みる傾向が薄い人だったら、
生きていく上で困難を感じる機会はあまり無いでしょう。
そういう人は「客観性のある当事者」ほどには辛さを感じないので
訴える必要もないのです。


私が以前「軽度だからこそ辛いこともある」と書いたのは
ここ2年ほどで、じわじわとそれを実感してきているからです。
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by susu_canta | 2011-02-17 15:28 | 苦手なこと 得意なこと  

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