境界域の私


もう読んでる方もいないだろうなってぐらい放置してしまいました。

それでもまたこうして書きたくなるんだから、気まぐれなものです。

お陰様でここ数年、夫の仕事が忙しくて
それに伴って私もあれやこれやとサポートで余暇が少なくなり
また、他のことに興味関心を持つようになったりして
ゆっくり考え事をする時間が、めっきり減ってしまいました。

クリニックへの通院は、
最後の検査を終えて 次回の診断を待つところまで来ています。

感触として、自閉症スペクトラムのかなり軽度...
定型発達との境界線ぐらいに位置するのではと予想しています。
検査の結果を見てもそんな感じですし、私自身の実感も重なっています。

軽度だからこそ、行動や物事の捉え方をある程度修正して来られたと思います。
そして修正できてしまうことで、疲労をためやすくなったり、
心理的なストレスも負いやすいのだろうと感じています。




ここまで来て なんとなく診断が読めてきたところで
今、ちょっと空しさを感じてしまっています。

自分はどうも こういう位置づけになる運命?というか
何かと何かの「あいだ」の立場になることが多いなぁと...。

発達障害で言えば、自閉傾向があることは確かで
関連本を読んでも思い当たることが多いし
特に当事者が書かれたものには、共感して泣けてくることがあります。

その一方で「普通の人の感覚」というのも(部分的にですが)分かるのです。
その多くは学習して身につけたものですが、
私の場合は特に、理論的に納得できると自分の中でルール化しやすく、
社会常識などはある程度理解することができます。

対人関係についても、自分の中で混乱することは多いですが
他人を不快にさせることは滅多に無いと思います。
(今は仕事をしていないので、あくまで専業主婦としての立ち位置で、ですが)

なので、どっちの気持ちも分かってしまうなぁ...という感じなのです。


そういうどちらともつかないモヤモヤした気持ちが
時に、私と同じような軽度の発達障害者に対する「怒り」につながってしまうことがあります。

この怒りを説明するのは難しいのですが...

同じ軽度発達障害でも 色んな性格の人がいるので、
周りの人の迷惑や不快感を受け止めて自分を省みる人もいれば
そうで無い人もいます。

日本に生まれて、日本社会に適応して生きていくということは
自分を曲げることの連続であり、それは定型発達者も同じことと思います。
ただ、発達障害者にとってはその(自分を曲げる)割合が多かったり
そのことで多大なストレスを感じたり、
定型発達者の何倍も消耗してしまいます。

私は、幼少の頃は自閉症の特徴が強く出ていましたが
大人になった今、随分とその影は薄くなりました。
大人...と言っても、自分の言動を修正できるようになったのは
25歳頃からです(遅い...)。

それまで周囲には「変わり者のスス」で通っていましたが
芝居をやるなどして夢を追っている間は
なんとなくそれでも許されていたというだけなのです。
やはり会社勤めをしてからは、適応するために非常に苦労しましたし、
さらに結婚という、究極に不得手なことをしてしまったために
消耗が激しくなってしまった面があります。


言いたいことから離れてしまいましたが、
つまりは、自分の世界で自己完結してしまえる人が羨ましいのと
色んなものと引き替えに周囲に適応してきた自分には叶わないような、
マイペースを保っている人にハラが立つのです。

そのマイペースさは、たいてい当事者には自覚されていないので
(当人が発達障害だと気づいていないので当然ですが)
私がハラを立てたところで、その真意が伝わる訳もありません。

だから無駄な苛立ちだということは分かっているんですが
たまに...特に、体調が悪かったりすると、
この「嫉妬」から来る怒りがこみ上げてしまうことがあるのです。

私がこんなに努力して苦労して...
ある意味健康を犠牲にしてまで、必死に適応してきたのに
この人はこんなにマイペースでいられて、それが許されている!
周囲には迷惑している人もいるようだけど、
本人は全くそれに気づいていないし、気づいていないからなんの葛藤もなさそう!
こんな不公平許せない!と思ってしまうのです。


発達障害の、程度としては全く同じラインにいる人でも
やはり個々の性格や、知能の偏りによって生き方は違います。

たとえ同じタイプの自閉症であったとしても、
物事の一つ一つに対する態度は 当然一人一人違います。

それは定型発達者と同じことです。
性格も、センスもそれぞれ違うのだから
努力の方向も生き方の指針も 一人一人異なります。

私がハラを立てた人も、私自身も
それぞれのセンスと信念で動いてきた結果として今があります。

私が正しくて、その人が間違っている訳でもないし
私が賢くて、その人が馬鹿という訳でもない。
私だって、ある面では人に迷惑をかけたり不快感を与えたりしているのだろうし
そういう面は自分には気づけないし見えていない。
(見えていないからこそ不快にさせるのだろうから)

だから「嫉妬するようなことでは無い」って、頭では分かっているし
自分がその人のようになりたいかと言えば
「なりたい」とも言えるし「嫌だ」という気持ちも半分ずつあります。
「羨ましさ」と「否定感情」が同じぐらいあります。

でも時々、その両方の感情が ネガティブな方向に膨れあがって
「妬ましさ」や「腹立たしさ」になってしまうんですよね。



こういう「怒り」は(バリバリのASと思われる)父に対しても時々起こりますが、
最近は薄らいできています。

「発達障害」というフィルターを通して客観的に見てみると
父に対して「こうして欲しいのにやってくれない」と思っていたことが
実は“やらない”ではなく“出来ない”のだと気づいたためです。

そういう目で父を見ていると
父が混乱したり、もがいている一瞬を発見することがあります。

そして あんなマイペースな父でも
「少し自覚が出てきたのかな?」と思うような表情が垣間見えることもあり
父が年老いてきたことも手伝って、ちょっと可愛そうに見えることもあります。

自分の偏りと向き合わずに済んできた父が
今は少し、不得手な部分に直面させられているのかも知れません。



とりとめのない記事になりました。

こんな風につらつらと書ける時間が、またとれると良いのですが...!
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by susu_canta | 2010-08-01 02:45 | ACと発達障害  

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